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朝鮮人「強制連行」問題とは何か(下)パート2

引率も監視もない「強制連行」?

最後に、唯一といってもいいほどのケースだが、いわゆる「強制連行」「強制労働」と言われるものが、日本の法廷で争われ、事実関係が割合はっきりしたヶースを紹介したい。

金景錫という人物が、昭和17年10月、出身地の慶尚南道昌寧郡昌寧面から「斡旋」に応じて川崎の日本鋼管に労務動員されたことが「強制連行」「強制労働」にあたるとして訴えた裁判である(但し、原告は動員先で当時の従業員から暴行を受けたために傷害を負い、重い後遺症が残ったことも併せて慰謝料と謝罪広告を請求した)。 この訴訟は、一審の東京地裁で原告が全面敗訴した後、会社側が違法性を認めないままで原告と和解した(和解金410円)ことをもって、いわゆる「戦後補償裁判」では初の補償金などと報じられたのだが、同時にこの地裁判決ではいわゆる「強制連行」「強制労働」の実態についての判断も示されている。

要約すれば、東京地裁は次のように判断している。 まず「連行」については、原告は昌寧面長が原告の父を脅し、原告の兄・金景重を炭坑に「徴用」する代わりに、原告を動員して日本に行かせた。 これは「強制連行」に当たると主張した。

これに対して、判決はまず兄を炭坑に徴用すると面長が言ったことが、「国民徴用令の発せられた時期」、つまり強制力をもった「徴用」がまだ始まっていなかったこと、さらに原告の兄が何度か動員を免れていることから見て、「被徴用者側の抗命を許さない強制」とは「積極的には認定できない」とした。

原告当人の「強制連行」については、事実関係に基づいて判決は次のように指摘している。 原告は、「斡旋」を受け入れた後、「昌寧面から京城まで誰にも引率されたり、監視されたりすることなく、一人で赴いた」。 「原告本人の供述によれば原告と行動を共にした他の朝鮮人労働者100名弱も抵抗の気配もなく京城を発ち、釜山から下関へと渡航したことが認められる」。従って、「(総督府、郡、面など)当局の相当積極的な斡旋によるものであったが、その当局の強制によるものとまで言えず……」と「連行」を否定した。

一方、「強制労働」についても、「なるほど、第二報国寮(引用者注・原告が住んでいた寮)における原告ら朝鮮人労働者の居住状況は、狭く、汚く、かつ、プライバシーのほとんど存在しようがない劣悪なものであり、川崎製鉄所の作業環境も高温、粉塵、落下の危険等による最低の水準にとどまっていた」けれども、「他方、原告は……それなりの給料が支払われることを期待していたこと、日本人労働者と組んで働き、……操作の難しい機械の運転を担当する程度に労働技能に習熟したこと、予想していた金額ではなかったが現実に賃金支払いを毎月受けたこと、川崎駅近くへ出かけ書店で本を購入するなどの行動の自由もあった」等の事情を考えると「処遇が奴隷的待遇であったとまではいうことはできず、したがって、原告に強制労働に屈従させたとまでは言えない」と判断した。

いわゆる「戦後補償裁判」は、政府が被告となった場合はほとんど事実関係で争わないために判決でこうした事実関係の詳細は出てこないのだが、この場合は会社が被告であったために、個別ケースとは言え事実関係が明らかにされ、裁判所は「強制連行」「強制労働」に当たらないと認定したというわけである。

「強制連行」が争われた裁判において、その事実関係が「京城まで誰にも引率されたり、監視されたりすることなく、一人で赴いた」というものであったことが明らかになったわけで、この判決は当然のことと言える。

同じ国民であったという事実

さて、ここまで統計資料や具体的事例を紹介しつつ、「強制連行論」について戦時動員の枠組みのなかで、また内地への朝鮮人渡航者の全体像を眺めるなかで検討してきたが、こうしてみるといわゆる「強制連行論」は到底成立し得ないことは明らかであろう。

しかし、「強制連行論」が何よりも無視しているのは、それが強制を伴うものであれ何であれ、戦時動員は朝鮮人だけを対象としたものではなく、当時の日本国民を対象にしたものであったという事実である。 半島在住の朝鮮人が特別に扱われたのは、先に示したように内地よりも緩やかに動員が実施されたということに過ぎない。

先に紹介したように、朝鮮から内地への不正渡航や「密航」が犯罪ではなかったのも、また、徴用は別だがそれ以前の動員において動員先から離れても基本的な権利に制限がなかったのも、朝鮮人が外国人ではなく、同じ日本国民であったからに他ならない(端的な事実を一つ挙げれば、昭和17年に行われた衆議院選挙や地方議会選挙に111名の朝鮮人が立候補し、そのうち38名が市町村議会議員に当選している)。

鄭大均・都立大教授はこう述べている。 「朝鮮人も日本人も当時は日本帝国の一部を構成していたことを忘れてはならない。 『労務動員』とは戦時期の日本帝国の国民に課せられた運命共同性のようなもので、多くのエスニック朝鮮人はそれを義務や運命と考え、従属的に参加していたのである」(中央公論・本年12月号)

むろん、動員を日本への渡航のチャンスとして捉え積極的に参加したものもいたであろうし、逆に動員が、不本意だった者もいたであろう。 しかし、それが義務だと考え動員に応じた人がいたこともまた事実である。 徴用で樺太に渡った権煕悳氏はこう述べている。

「徴用令状がきて大邱の公会堂に出頭すると、300人集まっていた。 身体検査の結果115人残して他は帰らされた。 更に出発の日に集まったのはそのうち85人だけで、あとはみな逃げられてしまった。 そのころの私は、徴用で行くことは天皇陛下の赤子として名誉であり国民の義務なので仕方ないと思っていました」(伊藤孝司『樺太棄民」)

当時は朝鮮人も同じ国民であったという事実に立てば、この権氏の心境は当然と言える。

むしろ、戦時の動員と労働を「強制」として捉える「強制連行論」というのは、こうした事実を無視して、朝鮮人を外国人として捉えるという前提に立たない限り成立しないとも言える。 その意味で、「強制連行論」を検証するにあたって、同じ国民であったという事実こそ核心的な事実と言えるのである。

驚くばかりの無知

最後にこの問題の深刻さについて触れておきたい。 というのも、「強制連行論」は単なる歴史解釈の問題に留まらず、日本の外交や「在日」を巡る内政問題、教科書をはじめとする教育などの分野で現実の影響を及ぼしているからである。

例えば、外国人指紋押捺問題では、在日韓国・朝鮮人のほとんどが「強制連行などの形で日本に居住を強いられた人々とその子孫」だから、韓国政府が要求している「特別の扱い」に理解を示すべきだとの主張がなされ、特別永住者などの指紋押捺は廃止された。 また、在日韓国・朝鮮人の地方参政権や公務就任権要求などを求める運動でも、例えば地方議会への請願などで、同じ論理が展開されている。 既に公務就任権ではその一部が現実化し、地方参政権の方は現在の自公保連立の際の合意事項となった。 まさに現実政治に影響を及ぼしていると言えよう。

むろん、在日韓国・朝鮮人のほとんどが「強制連行」の結果だというのは事実ではない。事実はまったく逆である。 紙数もないので詳しくは述べないが、例えば、昭和34年の法務省の「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人のうち昭和19年から20年に渡日してきたという人は4千3百4人(在日全体の0.9%)に過ぎない。 これが政府の公式の調査結果なのである。

さらに、この4千人余とその子孫のすべてが「徴用」の結果、日本に住むようになったわけでもない。 「徴用」は19年9月以降であり、時期はさらに限定される。 また、先に見たように「徴用」と同じ時期に渡日したからといっても、「徴用」と並行して自らの意志で内地に渡航する朝鮮人がいたわけで、その数はさらに少なくなる。 従って、仮に「徴用」を「強制連行」だとしても、今日の「在日」のほとんどは「強制連行などの形で日本に居住を強いられた人々とその子孫」ではないというのが事実なのである。

とは言え、地方参政権を推進している与党の中心人物すらこうした政府公認の事実をまったく知らないこともまた事実なのである。 平成12年に当時の野中広務幹事長は、永住外国人に地方参政権を付与する法案に関連して、付与する対象を「強制連行」によって日本に連れて来られた外国人とその子孫に限定してはどうかと発言したことがある。 この野中発言がいかに的はずれかは本稿をお読みいただければ誰にでもわかるはずである(仮に昭和14年以降の動員全体の時期の渡航者を対象としても「在日」全体では少数派で、大半は動員以前に渡日していた者とその子孫である)。 国民の権利・義務に関わる重大な問題である外国人地方参政権問題の大前提となる事実に、推進者である与党幹部がここまで無知だというのは驚くほかない。

また、「強制連行論」が外交に影響を及ぼしたのが北朝鮮外交、なかでも拉致問題だった。

例えば、野中広務氏は「北朝鮮外交では、日本が過去に彼らを強制連行して酷い目に会わせた事実を踏まえて対処しなければならない」(平成9年10月自民党朝鮮問題小委)と発言し、また、その翌年には「拉致疑惑があるから食糧は送るなとの意見は強いが、(北朝鮮とは)従軍慰安婦や植民地、強制連行があった。 近くて近い国にしたい。 日本はコメが余っているのに隣人を助けることができないのは恥ずかしい」(産経・4月7日)とも述べた。

コメ支援の理由として「強制連行」が提起され、それが拉致問題の解決を遅らせてきたわけである。 そして、最近では北朝鮮による日本人拉致と「強制連行」とを相殺するかのような議論すら出ている。 いかに「強制連行論」が浸透しているかがわかる。

これまで見てきたように「強制連行論」は一種のフィクションと言える。 しかし、そのフィクションに立って、コメ支援は行われたし、外国人参政権問題は議論されているのだ。